24歳からの日記

フレスコボールの普及、あるサッカーチームの監督、横浜でまちづくりの活動をしている人の備忘録

今年もこの季節がやってきた・・・

先に言っておくと、この文章は少々重たいものなので、そういうの見たく無い人は、見ないでください。

11月、これは僕にとって鬼門の月である。
大学に入ってからというものの、11月になるとすこぶる調子が落ちる。憂鬱になり、食欲が落ち、塞ぎ込み外に出なくなるという悪循環っぷり。

まー、今年は大丈夫っしょって思ってたら、まあさっそく例年通りに症状が現れた笑
今回はお腹も下すという症状まで付いてきて、例年よりも重たいのかも。
むむむ・・・。

この症状にはどういう病名が付くのか、とネットを波乗りしてると次のような言葉にであった。

自律神経失調症

あ、これだ。この時期だと別名 ”秋バテ” というらしい。
この手の病気は誰にでも思い当たる所はあるはずなんだけど、毎年この時期に、言ってしまえばこの時期だけでなく他の時期にも短期的にあるんだけど、なるのは異常。

この時期に発症するのは、大学に入ってから、10月終わりになにかしらの節目を迎える事が多くて、ちょうど疲れが出る頃なんだろうなと。


良くも悪くも年々、自分の体と心のバランスがどうなっているかが敏感になってきている。
自分の体について敏感すぎるのもこの症状になる原因の1つらしいけど、
敏感になると症状は出やすくなるかもしれないが、悪化はしない
鈍感でいると症状は出にくいかもしれないけど、気付いた時には症状が重い
って言うのなら、どうしろって言うんだよ笑


さて、様々なところで僕はタフ説が出ています(?)が、実際はとても弱いです!
ブラジル行ってても、身体と心はそんなにタフに出来てはいないです。心は大変折れやすいです。
サッカーやってて、運動の体力はあるけど、基礎的な体力は無いです。徹夜とかもうしんどいです。
些細な刺激でも、身体全身で受け止めてしまうので、すぐに疲れます。なんで、ライブとかコンサートとか好きなんだけど、実は苦手です。

(ブラジルいたときの方が楽だった部分もあるんだけどなー。あれは鈍感に生きていた部分があったからなのかなとも思ったり。日本帰ってきてから、渡航前よりも神経質になった部分もあれば、そうでない部分もあるなー。)

という訳で色々なものを、外的要因を、自分で取捨選択しないと、僕は疲れ果てて生きていけないのです。

以上、みなさんも秋バテには気をつけてください。
適度な運動と会話、心と身体に栄養を与えるおいしい食事、そして疲れた時には思い切って休む勇気、この3つを忘れずに。

自戒も込めて。

富山市は、実際車が無いと生きていけません。

富山出身の僕に興味を引く記事があった。

 


なぜ富山市の老人は、死ぬまで歩いて暮らせるか(1/3ページ) | ニコニコニュース

 

この記事によると、

”都市と地方の暮らしで、最も違う点は「歩くかどうか」だろう。国の調査によれば、65歳以上の高齢者の平均歩数は5368歩。傾向としては公共交通網が発達している東京などの都市は多く、反対に車社会である北海道などの地方は少ない。

これに対し、富山市が公共交通の割引サービス「おでかけ定期券」の利用者を対象に調べたところ、65歳以上の平均歩数は6360歩で、全国平均を1000歩近く上回った。富山市の森雅志市長は「定期券の利用者は1日約2600人。歩数増加には健康増進の効果が認められており、医療費に換算すれば年間7500万円程度の効果になる」と話す。”

らしい。

 

へー、一日に2600人もおでかけ定期券」を使ってるんだ。

でもさ、

富山市の高齢者人口ってどれくらいいるの

って話じゃん!

 

3000人中の2600人だとかなり優れているだろうし、100万人の2600人だとたったそれだけ?って話になるだろうし。

 

ここで調べてみた所、やっぱり市役所は頼りになりますな。

富山市 年齢別・地区別人口統計表(26年9月) に載ってました

 

この統計表によると、富山市の65歳以上の人口は、114,271人。

となると一日あたり2.3%の高齢者しか「おでかけ回数券」を使っていない計算になる。どれだけの回数をアンケートして結果を取ったかわからないけど、これだけで”富山市の高齢者は〜”なんて括るのはおかしい。富山市一日の利用数はたったの2%に強過ぎないのだから。

 

ニュースじゃなく元ネタにもあたってみようとグーグル先生に聞いてみた所、無事に探すことが出来た。それが

http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/13110/1/20140901kaikensiryou.pdf

で、ある。

これがまた酷い。

2 調査の概要
(1)調査対象者
地場もん屋総本店に来店した、おでかけ定期券所有者150人 (男性18人、女性132人)
(2)調査期間
平成26年5月15日(木)から6月9日(月)のまでの期間
(3)調査方法
調査票・歩数計等を配布し、郵送により回収
(4)調査内容
おでかけ定期券を「利用した日」「利用しなかった日」各3日間、合計6日
間の歩数、移動距離、目的等


3 調査結果
131人(男性16人、女性115人)から調査票を回収した。(回収率 87.3%)(一部文字編集有り) ”

え、たったのアンケート回答者ってたったの131人なの・・・。

 

図1 年齢階層別平均歩数 を見てみても、85歳以上のサンプル数が1とか。

いろいろ突っ込みどころ満載なんだな、これらの記事。

 

今まで、定例市長記者会見 とか見たことが無かったけど、色々とネタを拾えそうなので、これから要チェックだな。

 

【映画雑感】Lixo Extraordinário(英題:WASTE LAND、邦題:ごみアートの奇跡)を観て

「この人、すげーなー」の一言。

何が凄いかは、この後の感想から読み取ってもらいたい。

 

まず、この映画を知らない人は以下のリンクから概要を見てもらいたい。


ドキュメンタリー映画 『ヴィック・ムニーズ – ごみアートの奇跡』 | 現代芸術家ヴィック・ムニーズが故郷ブラジルに戻り、世界最大のごみ処理場で働く若者たちの人生をアートで変えていく「芸術で世界を変える」感動のドキュメンタリー。第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート作品!

 

ブラジルに留学していた時からずーと見たいと思ってたが機会が合わずに見れずにいた。今回は、なんとドキュメンタリーの主役であり、アーティストであるヴィック・ムニーズ

のトークショーも有るということもあり、この日の予定は空けておいた。

 

映画を観た率直な感想は

「悔しいし、こいつには今はかなわない」

ということ。

 

歳も、実績も、経験も、使う言語は多少被ってるけど、何もかも違うのは百も承知。でも、こんな作品を作れるなんてなんという感性・行動力だろうと単純に嫉妬した。もちろん彼だけの力だけでなく、ファベーラの住民や彼の元々の同僚などの力もあったのだろう。が、純粋にすげー、と思う。単なる嫉妬です、ええ。

 

けど、今の自分だとどれくらいのレベルまで落とし込めば出来るかなーとは考えさせられた。1人でなのか、友達となのか、はたまた見知らぬ人なのか。大学なのか、横浜なのか、メキシコなのか。わからんが、ぼくでも出来ることあるっしょ、と。

 

 

映画で最も印象的に残った言葉は

99 não é 100. 」つまり「99というのは100ではないんだ」。

 

これは、毎日毎日、山のようなゴミの中からリサイクル出来るものを回収しているおっちゃんの言葉だ。

毎日ずっと拾ってて、この言葉が出てくるって重い。

あんだけゴミの山があって、100個空き缶があって、たったの1つの空き缶が無くなる(リサイクルされる)だけで違うって言い切れるとは。

 

「大きなことを成し遂げるには、小さなことからコツコツと」

高校のとき、部活で教わった印象的な言葉だが、これに通ずるものがある。

100個という全てをリサイクルするにしても、全ては1個目から始まる。最初が無ければ終わりなんてものも存在しない。

おっちゃんはそんなこと考えて言ってたかどうか、分からんが、僕はそいう風な解釈をした。(まあ、今となってはおっちゃんの解釈を知るすべも無いけど・・・)

学問は分からんが、という前置きがあって話をしていたが、立派な哲学者だよおっちゃん!!

 

 

映画全体、というか久々にブラジルを見て感じたのは

「真剣になっても、深刻になるな」

ということ。

 

やっぱ楽しまないとだめだなー、と。下を向いて考えているだけでは物事進まんし、上手くいかん。どうも日本に帰って来てからシリアスになりがちだけど、もっと気楽にかつ真剣に考えれればなー。

 

 

また映画上映後のトークショーでも面白い発言は色々と。

「ごみというのも人間の営みの1つであるが、それは見たくは無いものである。写真のアルバムにはいれたく無いでしょう?」

▶︎写真のアルバムにいれたく無いものを、アートとして成立させて売るあんたは何者だよ・・・。

 

「この映画が与えた良い影響の1つとして、彼らが単にゴミ拾いをしている人ではなく、カタドールという職業で知れることとなった。今まで光が当たっていなかったところに光が当たるようになった」

▶︎そうね。BBCが取材に来て、英語でもカタドールって紹介されたというくらいだから、全然話題にもなってなかったんだろうな。ブラジルいた時に、存在は知ってたけど職業名までは知らんかったし。

 

「アートというのは自らの体験と言うフィルターを通して出てくるもので、それは触れることも出来るし、共有も出来る。」

▶︎つーことは何かしらを自分に入れないと、決して出てくることはない、つーこった。インプット大事。

 

なーんてことかな。

あと全体が終わった後に、ヴィック・ムニーズさん本人と会場の外で話を出来たのでこんなことを聞いてみた。

 

「Qual é diferencia entre deseño y arte?」

「デザインとアートの違いって何ですか?」

ということ。

 

回答は

「deseño é um parte de arte ne. e deseño processo mais rapido.」

「デザインはアートの一部で、作品をより早く進めることが出来る」的な。

 

本当はもうちょい「絵画が〜」とか説明されたけど、覚えてないっす。

ようはアートの中でも技術的・機能的な部分を担うのがデザイン、

というのが彼の認識なんだろうか?わからん。またじっくりと話したいなー。

 

 

あ、この映画のDVDが11月に発売するそうなので、興味を持った人は買って観てみてください。

 

新潟滞在記〜1日目〜

これまでに新潟を訪れた事は幾度もあっても、滞在するのは初めてである。

何があるのかー、と思い町散策へ。
 
滞在先からそう遠くないところにパン屋があった。
本町にあるそのパン屋で、定員のおねいさんに色々と話を聞いた。
最初は近くでへぎそばを食べれるお店を聞いたのだが、話は徐々に地域の話について。
(下記の””内は、おねいさんから聞いた話の要旨である)
 
”へぎそばは小千谷十日町が発祥の地で、新潟市で食べられるところは少ない。
そちらから新潟市内に越してきた人のお店や支店なら食べられるかも。
ただ、ここらへんは昔から残っている老舗が多く、無いかもしれない。
 
ここで私が富山出身で、富山よりも新潟の方が栄えてますーというと、
それでも昔から、といっても20〜30年前、比べると大分(本町通りの)人通りは少なくなっている。
なかでも、若い人は本町なんかに中々来なくなっている。新潟駅南や大型ショッピングモールへ行くようになっている
 
今の交通手段は車になっており、ここら辺一体は駐車場が30分○○円って掛かる。
でもそっちは駐車料金がかからない。”
 
 
確かに本町近辺で駐車場というのはあまりなく、あってもコインパーキングが多いように見受けられてた。
また、各通りがアーケードとなって屋根が覆われていて、歩行者・自転車で来る人には通行しやすいようになっている。
近所の人はくるのだろうが、わざわざ車で来るには少し不便そうだ。
 
 
 
また新潟のお土産相談をしていると、
 
”今の時期はお土産にはお菓子なんかよりも、果物。
ブドウや梨、栗なんかがおすすめ。桃はもう少し時期がすぎたかな。
ブドウなんかはお店裏の市場を見て歩けば、こんなにも種類あるの!?ってくらいに沢山あるよ。”
 
確かに果物が豊富だった。新潟って果物のイメージ無かったけど、今回で認識が変わった。
 
 
パン屋を出た後、再び1時間ほど町歩きをした。
古くから残っている建物・お店があり、なかなか見た事が無いようなものも見つけられた。
 
行けなかったところ、特にマンガの家は、是非明日訪れたい。 

映画"物語る私たち"を見て、物語るぼく ー真実とは複雑ー

飼っていた犬が死んだ時に感じる悲しみには、何かしらの意味がある。
学校で彼と出会ったことにもなにかしらの意味がある。
 
おそらく、今日ぼくがこの映画に出会った事にも何かしらの意味付けが後にされるのであろう。
ーーー
 
アルバイト先の会社が閉まっていた。
今日は祝日だ。そりゃ空いてる訳がない。
 
やれやれ今日は何をしようやら、と思いオフィスのドアの前にため息をついた。
そうだ、昨日見ていた映画館へいこう。
そう思い、急遽職場近くにあるミニシアターへと向かった。
 
昨日、前から見たいと思っていた映画の上映館を調べていた。
それは職場の近くにあった。
ネットで調べるまで、そんな近くにシアターがあったことは知らなかった。
 
歩いて向かった。職場から、ものの数分でついた。
そこはホテル街にある。
 
そこは5階建てほどのビルで、1階にはカフェが入っていた。
映画のポスターがビルの前面に貼ってあり、一目見ただけでここは映画館なんだろう、ということが分かる。
ビルの案内図を見ると、映画館は3階にあった。
エレベーターもあったが、僕は階段を1段飛ばしで、ちょっと大股で、上へと向かった。
 
なにか予期せぬ出会い、そんなワクワクが心の中にはあったのだと思う。
 
僕が見たかった映画は、あと30分で終わりを告げようとしていた。
これは昨日、上映時間を調べていたので知っていた事だ。
知っていたとは言いつつも、どこかガッカリした部分もあった。
 
しかし、およそ30分後に始まる映画があった。
 
"物語る私たち"、そんな邦題であった。
原題では、"STORIES WE TELL”
 
タイトルを見て、思わずチケットを買っていた。
あーあー、また食費を切り詰めないと。チケットを買ってから頭にこのような台詞が過った。
 
何を語るのか。また誰が語るのか。そして、この物語における物語とは何を定義しているのか。
こんな事を知りたいと思ってチケットは買った訳ではない。
確かに、映画を見たあとにならこれらの後付けの理由をのっけることは出来る。
 
が、実際になぜ食費を切り詰めてまで上映券を購入したのかは分からない。
 
出会うべくして出会った、しかも適切なタイミングで。
このようにしか言えない。
 
整理券番号No11。この番号は早いのか遅いのかは分からない。
しかし、入場後にシアタールームを見渡してみると、遅い方ではなかったという事が分かった。
 
映画は1人で見たい人間だ。できれば前後左右は空席であって欲しい。
そんな思いも露知らずか、左側の席にお婆ちゃんが座った。
上映前にあんぱんを食べていて、その香りが印象として残っている。
 
そして映画が始まった。
映画は、とある家族にまつわるお話。
 
映画の内容に関しては、公式サイトを見てください▶︎http://monogataru-movie.com
 
この映画を見て1番強く感じた事は、
「人は何かを語るに際して、結局は自分について語っている」
ということである。
 
この物語の中では、全ての人がある女性について語っている。
しかし、言っている内容は、みんなバラバラであり、各自が女性にどのように見ているか、を語っている。
事実としては同じ事柄であっても、みんな見え方・語り方は違うのである。
 
物語の終盤に、「真実は彼女の中にのみある」という趣旨の台詞があった。
なるほど、確かにそうかもしれない。
しかし、各自にとっての真実とは、彼らの口から発せられた物語そのものではないのか。
 
人にはそれぞれ何かしらの先入観があり、語る時にはじぶんなりに編集をして語っている。
これらがその人の考え方の個性であり、またその差異が人と語る楽しさでもあると思う。
みんなが同じ考え方をしたら、この世から会話が消えて、ゲームのみをしてしまうのではないかとさえ思う。
 
事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、真実は事実よりも奇なり。
事実は事実としての解釈しか出来ないが、真実とはそれぞれの人がもつ物語の解釈である。
 
僕はそちらの方に面白みを感じた。
今も僕なりの”真実"こうして書いている。
そして、これは同時に自分についても語っている。
 
また印象に残った台詞として、
物語冒頭の「物語とは、その物語の渦中にいるときには混乱して、よくはわからないものである」
後半部分の「愛は儚く、忘却は長く」
 
1つ目のフレーズに関してはまさに同意で、
いま、大学時代を振り返れと言われても、まだ大学在学中なので上手くまとめきれない。
一方で小学校時代なら上手くまとめられる。
 
2つ目に関しては、なんだろう、うまくいえないけどグッときた。
まさに、この物語の、愛と忘却の物語の最中なのかもしれない。。。
ーーー
 
ふと、足を運んでみたら思わぬ出会いがあり、良い日でした。
物語る私たちを見て、物語る僕。
どれだけ影響を受けやすいんだ。 

2014年のブラジル人の嘆きは、2020年の日本人の嘆き?

ブラジルに関する意見の入った画像がFBで流れてきたので、それについてちょっと思うことがあるので、久々にブログを書いてみた!

 

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意訳

ーー

私はサッカーに抗議するのではない。


私はブラジル代表に抗議するわけでもない

 


福祉・医療、教育、治安、そして敬意というものが必要なこの国でワールドカップを行うという、あきれた思想に私は抗議する

ーー

 

はいこれ。

2020年に東京で、日本でこんな言わないように、今からどんな未来を作っていくかを考えないといけないよねー、と思ったので自戒も含めて書いてみました。

 

 

「走れメロス」は太宰治の嘆きだった!?

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素晴らしい考察ですね、これ!
ここから1つの見方が湧き出てきましたよ。
 
それは「走れメロス」というタイトルには
 

「(遅えんだよおまえ!さっさと)走れメロス

 
という隠れたメッセージが存在する!ということを。
 
 
 
Wikipediaでちらっとメロスについて見てたら、
ふと他の言語だとどんな説明がされているのか気になり
スペイン語・英語ページを見ました。
 
そこにはタイトルのスペイン語訳・英語訳共にあり、それぞれ
 
Corre Melos」(スペイン語)
Run Melos」(英語)
 
とあります。
 
 
両方、命令形に近いような形で動詞が使われていて、
今まで考えていた
 
「(頑張って)走れメロス
 
的なイメージが吹き飛びました。
 
 
 
 
そうだよね太宰さん、
 

親友を生贄に捧げているんだから、思考する暇があったらさっさと走れよ( ´Д`)y━・~~
思考してるから歩くんだよー、走れこら!

 
そう思っちゃうよね。